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SPECIAL対談 石塚毅×高木優一

今回のゲストは、リクルートで長年人材採用に携わり、その後起業された石塚毅さんです。昨年、人材紹介業の看板を降ろし、新たな求人ビジネスを始められたと聞きました。さて、その新しい独自の試みとは?

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リクルートを辞めてから起業までの経緯

高木優一:
かつてリクルートの社員として、また独立されてからも求人のプロとして仕事をされ実績を残されてきた石塚さんが、昨年、人材紹介業をお辞めになったとお聞きしました。そのあたりの事情を中心にお話を伺いたいと思うのですが、まずは石塚さんがリクルートを退職し独立起業された経緯からお話しいただけますか。
石塚毅:
私はリクルート中途入社組です。きっかけは2009年のリーマンショックですね。2009年の11月にリクルートを卒業して独立起業しました。リクルートに勤めていると言うと、ほとんどの方が辞めて起業するのだろうと思うのでしょうが、私はずっと会社にいて上を目指そうと決めていたのです。執行役員になりたいなぁって。ところがリーマンショックの煽りで全社で凄まじい異動がありまた希望退職者も募るようになりました。私は成績が悪くなかったので他人事だと思っていたのですが、実は超マイナーな部署への異動の噂が入ってきました。めちゃくちゃ腹が立ってですね(笑)それでやむなく独立起業を決意したような次第です。不本意だったんですよ、サラリーマンとしてとことん出世しようと思っていましたから。
高木優一:
そうなんですか。最初から独立を視野に入れていたわけではないんですね。
石塚毅:
全然違うんです。それでも独立起業するからには小さなことでもいいから何か“伝説”がいるだろうと考え、最後の第3四半期では2ヶ月で3ヶ月分の業績を達成し、辞めてからも1社たりとも昔のお客様から仕事を受注しないことを自分に課しました。以前の得意先に挨拶に行っても「何か仕事をくれませんか」というようなアプローチは一切せず、別のお客さんを新規にご紹介していただくよう働きかけをしました。
高木優一:
独立されてからも、やはり人材紹介事業を継続されたんですよね。
石塚毅:
そうです。まずは小規模で初めて、独自のヘッドハンティング・サーチファームを創り上げ、磨きをかけて徐々に大きく事業化しようと考えていました。5年で2億ぐらいの売上目標は掲げていました。ところが、人材紹介業の大きな壁なのですが、誰を雇ってもノウハウを得ると辞めてしまうんですよ。転職したり独立してしまうのです。かなりの時間とパワーを育成に費やしても、結局は辞めてしまいます。人数を増やしても思うように生産性が上がらず、だんだん嫌になってしまったんですね。社員は言うこときかない、社長なのに自分の思う通りにできない、むしろ社員に変に気を遣うというジレンマに陥りました。
高木優一:
そのような紆余曲折があって、「脱」人材紹介に行き着いたという感じですか。社員が言うことをきかない、でも辞められては困るというジレンマは私もかつてそうでしたから、実感としてよくわかります。

photo by naokichi hasebe

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