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SPECIAL対談 豊田則幸×高木優一

今日のゲストは渋谷に事務所を構えておられる司法書士の豊田則幸さん。豊田さんが代表を務められる「あおば司法書士事務所」の大きな特長として、アメリカ、ブラジル、フィリピン等をはじめとする幅広い国際相続案件の取扱いが挙げられます。さまざまな経験談を聞かせていただき、その業務の大変さが実感できました。

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司法書士を目指すべく転機になったできごと

高木優一:
先生は相続や遺産整理を主な業務とされている司法書士でいらっしゃいますが、大学を卒業されてすぐにこの道を進まれたわけではないですよね。
豊田則幸:
リクルート、日本国際通信(後に日本テレコムに吸収合併:現ソフトバンク)で18年間、普通のサラリーマンをやっていました。
高木優一:
日本国際通信(日本テレコム)では、国際電話のセールスプロモーションをされていたのですか。
豊田則幸:
そうです。ブラジル人を中心とした日本に住んでいる外国人の方たちへの国際電話のプロモーション活動ですね。当時1995年の時点で、日本で暮らしている外国人は130万人ぐらいいました。そのうち、ブラジル人の割合は22~23万人ぐらいでしたが、彼らは一人当たり月に2万円ぐらい電話代に費やしていましたね。
高木優一:
そんな順風満帆な普通のサラリーマンだった方が、なぜ司法書士に転職されたのですか?
豊田則幸:
実は、実家の相続問題が契機となったのです。2001年の10月のことなのですが、当時私は転勤で福岡に住んでいました。そこに突然、浜松の実家が全焼し父親が亡くなったとの連絡が入ったのです。残された母親は親戚の家に居候させてもらうことになりました。その際、その親戚の顧問税理士がすべての財産は母親が相続するという内容の遺産分割協議書を作ってきたのですが、私も姉も「母親のためになるし、何の問題もないだろう。」と、あまり深く考えずに判を押してしまいました。しかし、その結果、肩身の狭い居候の身であった母親は親戚から多額の借入れを要求されたり、私の生まれ育った(全焼した家の)土地を売却させられたりと、驚くような事実が明らかになりました。
高木優一:
それはひどい話ですね。
豊田則幸:
そこで私は何とかしようと福岡と東京で合計4~5人の弁護士さんに相談に行ったのですが、残念なことに、その中で親身に相談に乗って頂けた方はいませんでした。「相続のやり直しなんてできないよ。お母さんがタチの悪い宗教にはまったと思ってあきらめなさい。」と言われたこともありました。そんな時、ようやく自立して正気を取り戻した母親と一緒に、昔、実家の登記をお願いした地元の司法書士さんに相談に行ったところ、とても親身に相談に乗ってもらえ、相続登記のやり直しなどにより、遺産を守ることができました。私は、「世の中には、こういう仕事もあるんだ。」と気がつき、わが身の失敗経験を何とか生かすべく、自分も司法書士になろうと決心したのです。そして、会社を早期退職し、一年間無職で勉強して翌年の司法書士試験に合格し、この世界に入ったのですが、やはり世の中には私と同じように相続問題で苦しんでおられる方が大勢いることがわかりました。少しでも、そういう方たちの役に立てればいいと思っています。

photo by naokichi hasebe

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