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SPECIAL対談 小松拓也×高木優一

今回ゲストの小松拓也さんは、中国のエンタメの世界で長年活躍をされ、現在、日本のエンタメを中国に紹介・普及させるべくプロデュース的な仕事をされています。エンタメの世界を通し、知られざる中国の一端をご紹介いただきました。

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運命的な中国への道筋

高木優一:
小松さんは中国で俳優・歌手としてご活躍されていて、今はエンターティメントの世界を通して日中の橋渡し的な仕事をされています。
今の中国の様々な側面をご存知だと思いますが、我々日本人の多くは、中国のことを実はほとんど知らないという気がします。そこで、現実の中国のお話をいろいろお聞かせいただきたいのですが、その前に中国で具体的にはどのような活動をされていたのかをお聞かせいただけますか。
小松拓也:
芸能活動全般です。俳優として映画やドラマに出たり、CDを出したり、自分の番組を持ちMCをやって日本の音楽を紹介するとか、いろいろな活動をしてきました。上海万博のときは、テレビの番組で司会もしていました。
高木優一:
芸能活動といっても、非常に幅広いジャンルにわたっているんですね。中国で活動されるきっかけはどのようなことだったのですか。
小松拓也:
私の母親は私が中学生の時に亡くなったのですが、その母親と同じ名前の女性が社長を務める芸能プロダクションに高校卒業前にスカウトされたんです。当時その事務所では台湾出身のビビアン・スーの売り込みをしている時期でした。
最初に社長と面接をした際、社長は私の年齢を聞くと高校卒業後に台湾に中国語留学すればいいじゃないか、と提案してきたんです。それがこの世界に入るきかっけなのですが、何か、運命的なものを感じましたね。
高木優一:
お母さんが中国語の勉強をしていて、お母さんと同じ名前の芸能プロの社長にスカウトされ、その事務所ではビビアン・スーの受け皿になっていて台湾とは縁があり、その社長に中国語を習って台湾への留学を勧められた・・・うーん、確かに運命的ですね。
小松拓也:
そして台湾で芸能人の家にホームスティなどをしながら、台湾のテレビ番組や映画に出る機会が少しずつ増えていき、次第に芸能界のネットワークが形成されていったんです。
高木優一:
そのあと中国に行かれたのですか。
小松拓也:
いえ、やはり日本で評価されたいという気持ちもありましたので、台湾での経験を活かしながら売り込みなども行ったのですが、なかなか目が出ませんでした。そして、30歳が間近に迫ったときに、上海にあるテレビ局の番組のオーディションの話が来たんです。このオーディションがだめだったら、もう芸能活動はやめようという気持ちでチャレンジしました。

photo by naokichi hasebe

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