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SPECIAL対談 真鍋厚×高木優一
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井戸端会議の場が失われている

高木優一:
地域のつながりが希薄であるというのはわが身に振り返っても実感できますね。私も隣の家の人のことまったく知りませんし、ほとんど話したこともありません。
真鍋厚:
欧米でしたら、教会もあり皆が集うパブもありといった感じで、顔を合わせて近所づきあいが自然とできています。日本はコミュニティが発生するような場が現実的に失われています。昔は縁側があったり、何となく人が集まって会話するような開放的な家があったのですが、それもなくなっています。コンビニだって人が集う場所ではないですしね。ちょっとした噂話とか世間話をする場と機会がなくなっているんです。
高木優一:
確かにそうですね。近所の人たちが寄り集まって井戸端会議をするなんて想像もできません。
真鍋厚:
今、それを問題だと気づいた人たちが少しずつ自分の家を地域の人たちが集まる場として提供しようとか、コミュニティカフェなどの商売をやりはじめる人もいます。まずは「おかしいよね」と思わないとそういう活動はできません。コミュニティがまったくない状態は苦しいと思いますよ。家庭でも職場でも気軽に話をできる相手がいないわけですから。
高木優一:
そうですよね。月に一度床屋に行って髪を切ってもらいながらそこの主人と世間話をするなんて、少し前まではあたり前にありましたけれど、今はそれすらなくなっていますよね。
真鍋厚:
もちろん昔は良かったというふうに、脳天気に主張したいわけではないのですが……。そうではなくて、今何に困っていたり、不自由だったりしているのはなぜかを、コミュニケーションの生態系という視点からきちんと捉えることが重要なんです。そういう意味で過去に存在していた場や機会を再検証して、優れたところは現代に相応しい形で作り直すのがベターだろうと思うんです。今、ビジネスで成功しようと思ったら、ビジネスの場にコミュニケーションの機能を付加させることでしょうね。そこでいろいろなことを話しあってストレスを発散させたり、セラピー的なものが期待できるような場を提供する。飲食店でも床屋でもいいのですが、コミュニティを求めているお客さんはヘビーユーザーになると思います。求めている人は大勢いると思いますよ。学問の世界などではサード・プレイスという概念があります。職場でも家庭でもない第3の場所。それがあることで人間的な感情が安定するということは、確かにあるでしょうね。
高木優一:
職場でも家庭でも追い詰められると逃げる場所がないですもんね。
真鍋厚:
昔だったら集まって愚痴を聞いてくれる場所があって、「辛いんだよ」「それでもあんた頑張っているじゃない」と言ってくれる人がいることで安心できました。今はそれがないからすぐ心療内科に行って、「ああ、うつ病ですね」と診断されて、お薬を処方されてしまう。豊かなコミュニティってうつになるのを和らげる緩衝地帯のようなものでもあるはずなんです。これは多くの人が日々実感していることではないでしょうか。
高木優一:
今起こっているコミュニティの崩壊や希薄といった事象は、昔の集団就職まで遡るという本日の話には目から鱗が落ちた感じがします。本日はどうもありがとうございました。

photo by naokichi hasebe

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